人生にゃみあり猫あり

日々変わることと変わらぬこと、『ゆらっゆら』のブログです

家で過ごすこと

ここ1.2年家の居心地がよいと感じるようになった。
家はただ食べて寝るだけの場所ではなく、
「過ごす場所」だなと意識が向くようになった。

特別広くおしゃれな家ではないが、
気に入ったモノを使い、
適度に片付いており、
誰にも会わずに、
家呑みしながら猫を愛でてる。
人から見れば「なんて些細でちっぽけな暮らし」と感じるかもしれない。
ただ元々の気質が内向型だと自認している身として、これがなんとも快適だ。

また仕事は逆に100%対人業。
仕事の日は全力で仕事にコミットしているが、職場から離れたときの切り替えが完全にオフ化するようになった。
メリハリは大事だ。


こんなぼっちな私も、以前は休みごとに出掛けていた。
近場でも遠出でもせっかく出掛けたのだからと、なにか土産が欲しいと無駄に買い物してしまう。
外食も好きなので毎回どこかへ行っていた。

これが楽しくなかったわけではない。
外食するのは今でも好きだし、気が合う人ならずっと喋っているのは苦にはならない。
けれど以前は外出してこそ本来の休みの過ごし方だ!
となぜか盲目に信じていた節があり、休みの日は本当に家にいなかった。


そう考えると改めて思う、転機は一体いつだったか。

考えられる理由は2つ。
1つは愛猫を亡くしたから。
2つ目は夫婦で過ごす暮らしを見つめたから。
順に書いていこう。

まずは1つ目
これはもう後悔しかない。
約1年半前に保護して6年目の猫を亡くした。
保護してからも若干持病持ちで2週に1度通院治療していた。
私が常に一緒に通院時に付き添い、手がかかる子ほど可愛いがっているのもあったので、本当に懐いていた。
家にいる間はどの猫よりも私の側に常にいた。
だから亡くした時は、なんでもっと居られるときに家に居なかったのか、と本当に立ち直れなかった。
仕事柄出張で不在が多かったのはあるが、休みも家にいなかった日々は後悔の塊。
(ブログを書いてる今でも涙が止まらなくなる)

我が家は年代幅広くまだ5匹の猫らがいる。
後悔とは後で悔やむこと。
二度とあの思いをしたくないので、今は時間の限り猫の側にいるようになった。


2つ目はここ数年、休みの日はほぼテレワークの夫と過ごすようになったこと。
40代に入り、この先まだ何十年、一緒に過ごすんだなと思った。
子供を持つ選択もしなかった。
だからこそそこまでお互い関与はしないが、24時間一緒でも快適な住環境と距離感を考えるようになった。

自然に出来上がった習慣は以下の内容だ。
お互いが休みでも仕事でも、食事は一緒に作って食べる。
どちらかが集中したいときは必ず離れてお互い1人になる。
寝る時間と起きる時間だけは相手に合わせない。

そうするために、快適な温度を常にキープし、こまめに掃除するようになる。
また毎回買い出し行かずに済むように、食料もネットで注文しまとめ買いである程度ストックするようになった。
健康面も意識して適度に筋トレしたり、食事のカロリーや栄養にも気を配るようなった。
亡くなった猫へ花を手向けることもお互いの日課だ。

こうして住環境が整うとストレスも減り、さらに家にいる時間が増えることになる。
良い循環なのではと思う。

やりたいことは今でも沢山あります。
何か新しく挑戦したいこと楽しいことも多いです。
でも家で過ごすときは、その時間に集中したいなと心から思います。